最近人とお会いして思うのは、人は何回許されたかで、自分自身の価値が決まってくるのではないかということです。
「愛されることは許されること。」
一見別物のように捉えられるこの2つですが、私はこの2つが同じに見えてしまいます。
⚫︎なぜそんな風に最近感じるようになったのか
・過去の私
私は今までの人生は自分に制約や制限を設けることが多く、また相手にも同じように制約や制限を設けるような生き方をしてきました。
そのきっかけは幼少期から始まったように感じます。
私の親は条件つけの愛がとても多く、自分の理想の行動をしなければ、排除してくるような人でした。
私はそれが不満で反抗ばかりしていたので、親も手を焼いていたように思います。
親は口で抑え込めなければ手を上げてくる人でした。何か不満があると、最初は感情のまま体当たりで歯向かっていきましたが、親とは体格差のある、子どもの頃でしたので、最後は親が馬乗りとなり、ボコボコにされたので、そのうち溢れ出る感情は自分自身に向くようになっていきました。
⚫︎新たな経験
そんな私ですが、大人になり、結婚して、子どもも授かった事がきっかけで、沢山の親切な人や優しい人たちにも出会うことができました。
そのおかげで、優しいってこういうことなんだ。と知ることができ、私は人に親切にされたり、大切にされたりする経験を、大人になってから改めて1つずつ学んでいくことができました。
しかし、こんなにも多くの人から優しさを学んできても、この年まで知らなかったものがありました。
きっともしかしたら、みなさんは既にご経験済みかもしれません。
それは、「人を許す」というものでした。
⚫︎新たな目覚め
私の今までの経験では、何か問題があると、自分は悪くないと正当化し人を責めてきたり、言い訳をしてきたり、陰で嫌がらせをしてきたり、黙って去っていくことが殆どでした。
しかし、面と向かって、しかも笑顔で、私の名前を呼び許すと断言されたことは経験としてありませんでした。
それを初めてされた時、私は最初言われた言葉の意味が全く理解できず、ぐるりと私の中を一周してまわっていくような感覚になりました。
そして私の中心部に落ち着くと、そのまま深くに入って沈み、そこからまるで種から芽が出るように、新たに何かが生まれたような感覚になりました。
そしてその感覚の正体を知った時、私は強い衝撃を受けてしまいました。
そう、それは初めての「愛」の感覚でした。
実の親からも貰えなかった「愛」の感覚を私はその時初めて知ったのです。
そして、許すということは、最高の愛情表現だと、その時強く確信をしたのでした。
明日は「許すことで起きること」を書いて行きたいと思います。
本日も最後までお読みくださいまして、ありがとうございました♪
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