癒しの手

その日大切だと思ったことを綴っていきます。

パクリは悪いこと?

みなさんは人の真似をすることに抵抗がありますか?

それは有名人でもアニメでもファッションでも食でも考え方や生き方なんでもいいです。

自分が素敵だと思う人や物をみつけたら、憧れたり、真似をしたり、自分の生活に取り入れたりしたくなりますよね。きっとそれは素敵な人を真似することで、自分もそれと近い波動を纏うこになり、安心感や幸せを感じることができるからだと私は思っています。

でももし逆に、自分が人から真似される立場だったら、あなたはどのように感じるでしょうか?

例えば、こんな人がいました。自分が良いと思っていることを多くの人に知ってもらいたいと言って、動画販売という手法を使って自分の学んできた知識を広めていました。そして、その人は実際に、その知識をSNSという形を通して、確実に多くの人へ広めていくことに成功しました。私はそこまでの話を聞いて、その人の夢が叶った事に対し、素晴らしい事だなと素直に思いました。しかしその後の話です。その人はたまたま普段自分と接点の無い別の人が、自分が動画販売で話していた事と殆ど同じことを、自分のSNSに投稿しているのを見たと話しました。そして、その人は「SNSを見たら、まるで自分が思いついたように言ってたの。確実に私しか知らないことなのに、きっと私の動画を見て知ったんだろうけど、私の名前が一度も出てこないのよ。」体をすこし強張らせ憤った様子で短いため息をついて言いました。

それを聞いて私は、あれ?広めたいと思ってたんじゃないの?広まって嬉しくないの?この人は広まる事を求めてたんじゃなくて、自分凄いと言われたくてやってきたの?と思いました。

きっと、自分で考えたり、学んだり、思いついたものって、まるで自分の分身みたいな感覚になったり、自分の子どものような気持ちで強い思入れをもつのかもしれません。

あるいは、そうしたものを自分だけで保持や管理したいと思ったり、他人が使うことに制限や制約をかけることで、いつまでも自分のコントロール下で、動かしていきたいと考えたりする場合もあるかもしれません。

確かに著作権とか肖像権がある物や、出来上がった作品やコンテンツなどをそっくりそのまま使って、それを自分のモノだと言ったり、さらに使用を制限してきたら、さすがにそれは私も良くないなと思います。

でも場所が代わり、人が変わり、新たに表現されたもにまで執着を見せる事について、私はとても違和感を感じてしまいました。

例えば包装紙として使われていた浮世絵がゴッホなどの画家に影響を与えて、その技法を取り入れた絵画が描かれたりしたように、素敵だと思った物に憧れを抱いたりして、インスパイアやオマージュなど、模倣をすることは良い事だと思っています。

見習ってもらったり、手本にされたり、真似されるのってそれだけの魅力があるってことだと思うし、それだけ素晴らしいものをあなたが持ってるってことだとも思うんです。

パブロ・ピカソが「優れたアーティスト(凡人)は模倣し、偉大なアーティストは盗む」と言い、スティーブ・ジョブズは上記の言葉をうけて、「だから僕たちは、偉大なアイデアを盗むことに関して、恥じることはなかった。」と語っているように、私はさっき例え話をした女性に対して、そんなに自分が発信したことを語られてたからって、自分が最初に発信したという事実にしがみついて憤らなくても良いんじゃないのかなぁと感じてしまいました。

そして、フランシス・フォード・コッポラが「わたしたちから取ってほしい。まずは盗んでみてほしいんだ。なぜなら、結局は盗みきれないからだ。盗めるのは、私たちが与えたものだけだ。君はそれを自分のスタイルに取り入れ、自分のスタイルを見つけていく。誰だって最初はそうだ。そしていつか、誰かが君から盗む日が来る」と言っていましたが、確かに完全にコピーをしたと思っても、結局はそれを他人が表現しようとした時点でその人の色に染まってしまうので、完全にオリジナルのようにはなりません。

それに、サルバドール・ダリが「何も真似したくないなんて言っている人間は、何も作れない」と言っているように、作るを表現に変えた時、自分の好きな事を表現するためには、やはり真似ることはとても重要な要素になってくるのではないかと思います。例えばもし、魅力的な表現方法を知らなければ、本来持っているはずの良さが最大限伝わらなかったかもしれないし、そこで認知をされなければ、好きだと思ってくれる人は増えないと思います。そして、自分の魅力を伝えるにしても、自分の中だけで答えを生み出すことには限界があると感じています。

昔ある人が言いました。「答えは成功者の中にある。真似してモデリングして、自分にピタッと当てはまることを探すんだ」と。例えば成功者に直接聞いてみるのも良いかもしれませんね。その答えと言うのがもしかしたら、自分の中だけでは想像もできず、真似をしなかったら解決できなかったことかもしれません。または、表現したことで返ってくる相手の反応で、あなたを求めてる人の属性がわかることもあるかもしれません。真似してやってみることで、どんどん可能性が広がっていきます。

そもそも、何でみんないずれ死んでいくのに、今の肉体で勝ち得た方法を独占しようとするのでしょうか?

真似されないようにと権限を設けてしまえば、もし生まれ変わって、自分がそれを本当に使いたい時になって使えなかったら、1番困るのは自分ですよね。

分け与えれば、永遠に発展し、幸せが広がって、感謝にも変わって、それが光のシャワーとなって自分に降り注いでいくのに、独占して今だけ自分だけにしていたら、歪みや妬み、僻み、嫉妬が生まれるように感じます。

もっと分かち合う事を喜びにしていけたらいいのになあ。と私は感じます。

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